神様が私たちの罪に対してなさる10のこと(第11セッション 詩篇32:1-11)

1月 24, 2022
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1. 私たちの罪を赦してくださる(詩篇32:1、5)

ダビデは神様の赦しを求め、受け取りました。 赦された」というヘブライ語は、文字通り “持ち上げられた “という意味である。 そのイメージはジョン・バニヤンの『巡礼の旅』にも描かれている。 バニヤンの主人公であるクリスチャンは、自分の罪という重荷を背負っていた。

告白していない罪は、私たちに重荷を負わせる。

私たちが神に罪を告白するとき、神は私たちの肩からそれを持ち上げ、転がして、消してくださいます。

このイメージは贖罪の日から取られたものです。 この日、大祭司は犠牲の動物から血を取り、それを至聖所に運び、契約の箱(十戒を入れた箱)の慈悲の座に振りかけました。

ダビデが自分の罪を覆い隠そうとするのをやめたとき(5節)、神がそれを「覆われた」(1節)ことは重要なことです。 覆われるとき、それは視界から隠されます。

3.神は私たちに咎を課さない(詩篇32:2、ローマ4:8)

これは、神が私たちの罪に対してなさらないことです-神はもはや私たちに対して罪を数えないのです。 “チャージ “は簿記の用語です。 これはパウロがローマ人への手紙4章で、使ったイメージです。

4.私たちの罪を私たちから取り除く(詩篇103:12、ヨハネ1:29)

神は私たちの罪をどこまで取り除くのでしょうか。 「東が西から遠く離れているように」(詩篇103:12) -計り知れない距離です。 東と西が出会うことはありません。

5.私たちの罪を洗い流し、罪から私たちを清めてくださいます(詩篇51:2、イザ1:18、ヨハネ1:9)。

罪は神だけが拭い去れる印や染みを残しています。 完全に」洗い流してくださるのです(詩篇51:2)。

6.私たちの罪をすべて背中に投げ捨てる(イザ38:17)。比喩的な意味で、神はもうそれをご覧にならないように私たちの罪をすべて背中に置かれます。

7. 罪を一掃される(イザ43:25; 44:22).

私たちの告白していない罪は暗い雲のように私たちの上にぶら下がっていますが、神は昇る罪が朝霧を焼き払うように、それを一掃すると約束しています(イザヤ44:22)

8. 神はもう罪を覚えておられない(イザヤ43:25;エレ31:34;へブル8:12;10:16-17)

神が罪を許すとき、それを忘れておられるのです。

神が私たちの罪を赦すとき、神はそれを忘れます。それは、神がもはや私たちの罪を恨まないことを意味します。

神は私たちの罪をすべて海の底に投げ捨てられ、石のように沈んでいきます。 そのような恵みの行為によって、ミカは “あなたのような神は誰ですか… “と尋ねました。 (ミコ.7:18)と問いました。

10. 神は私たちの罪の負債を十字架に釘付けにされました(コリ2:14)。

神は私たちの罪の負債を消すだけでなく、負債が記録された書類を十字架に釘付けにして破棄されました。

私の罪-ああ、この栄光の思いの至福!
私の罪は、部分的でなく全体が、
十字架に釘付けされ、私はもうそれを負わない。
私の魂よ、主をたたえよ!

主よ、賛美せよ!私の魂よ、主をたたえよ!私の罪は、
私の罪が、
十字架に釘付けされて、もはや背負うことはない。

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